ルールと杓子定規

そらかぜ

「これはルールですから」、と杓子定規に言われたけど、ちょっと納得いかないな。

これはルールですから、と杓子定規に扱われることに不快感を覚えることもあります。
もっと柔軟に考えれてくれてもいいのではないか、と。

サービスを提供する側からいうと、一度例外を作ると、「あの時はやってくれたのに」、となし崩しになるのを恐れます。そうならないためのルールでもあります。

これはルールなので、と言えば、納得がいかなくても、それなら仕方ない、となります。ルールはサービスを提供する側を守る盾でもあります。

しかし、なぜそのルールがあるのだろうか、と振り返ってみることも必要だと思います。なぜそのルールを作ったのか、必ず趣旨、根拠、目的があったはずです。

そのルールが目指す目的を考えずに、これはルールですから、と突っぱねてしまうのでは思考停止であり、良いサービスはできません。良いサービスをするために設けたルールが相手を不快にさせてしまうようでは本末転倒です。

もっとも、本来ルールというのは杓子定規でもあるから悩ましいところです。この場合はどうするか、といちいち悩まずに済ませるために作るのがルールだからです。そうしないと、いちいち上司にどうしたら良いか確認しないといけなくなり、業務が滞ってしまいます。ルールがあれば、説明しなくても、この規則を読んでおいて、で済んでしまいます。

就業規則も、会社と従業員との関係を決めたルールです。一律だからこそ公平な取り扱いができる面があります。これが一人一人違っていたら組織は大混乱に陥ってしまいます。あの人の時は良かったのに、どうしてわたしは違うのか、とトラブルになってしまいます。

このように、悩まないで済むようにルールを作りますが、ルールを守っていくうちに、ルールを守ることが目的化していくことがあります。しかし、そのルールは、何か目的があって作られたはずなのですから、なぜそのルールがあるのか、ほんの少しでいいから立ち止まって考えたいです。

そうすれば、もう少し臨機応変に対応ができ、よりよりサービスにつながっていくと思います。

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