セブン&アイの主体性はどこに もう模範演技はいらない(経営の視点)
「著しく過小評価している」。カナダのアリマンタシォン・クシュタール(ACT)社から買収提案(1株14.86ドル)を受けたセブン&アイ・ホールディングスは9月、極めて厳しい表現で拒否する姿勢を見せた。ACT社は「失望した」とコメントしたが首脳が来日し、秋波を送り続ける。
2024年11月3日 日本経済新聞
珍しく厳しい論説でした。
そんな機微を高名な社外取締役はどこまで理解しているだろうか。
同上
名前こそ出していませんでしたが、批判の対象が社外取締役にあり、その中でも特に伊藤邦雄氏に向けたものと思われます。
伊藤邦雄氏といえば、小林製薬の問題でも渦中にあります。「伊藤レポート2.0」で高名な伊藤氏が社外取締役になっている企業が伊藤銘柄として警戒されている、という記事も散見されます。
このような実務に直結した研究をしている学者は、実務を知らなければ研究ができない、というジレンマがあります。かといって、伊藤氏のように当事者になってしまうと、このような不祥事が起きた時に、「なぜ第一人者がいるのにこういうことになったのか」、と批判を浴びることになり、研究成果や評判そのものに疑問符が付いてしまうことになってしまいます。
特に、基準や政府の報告書を作成したするなど、権威付けをされている方の場合は深刻です。
「ご立派なことを宣っておられるが、結局実務では役に立たない、机上の空論ではないのか」と、医者の不養生、紺屋の白袴以上のダメージを受けるばかりか、権威自体にも影響を及ぼしてしまいます。
研究を進めるためのデータ収集が研究そのものを否定してしまう危険性と隣り合わせというのが経営学の難しいところです。エクセレント・カンパニー、ビジョナリー・カンパニーというのもそうですね。
権威を守るためには、当事者にならないことが必要です。日本の天皇がなぜあれだけ長く君臨できているのかも、当事者にならないということと関連があります。持統天皇からスタートした当初から藤原氏が深く関与し、長きにわたり天皇は権威の象徴として、実務者を任命し、実務は貴族や武家(幕府の将軍は、「征夷大将軍」という地位が天皇から授けられるという建前)が担当してきました。なので、何か問題が起きても、任命責任しかないという建前のため、実務担当者を替えるということで、政権が変わることがあっても、天皇制は揺るがない、という体制が続きました。これがヨーロッパの王政とは大きく異なるところです。中国の皇帝もどちらかというとヨーロッパの王政に近いと思います。ヨーロッパの王政では、王が権力者なので、政治に失敗すると粛清されてしまいます。これに対して、日本は権力が二重構造になっており、影響があるのは下だけで、いわゆる「トカゲの尻尾切り」が可能になっています。(これが大きく変わったのが明治維新です。天皇が統帥権を持ってしまったことで「戦争責任」という話になってしまいました。)
当事者になってしまうと、問題が生じた時に、自分が責任を取らなければならなくなるので、伊藤氏のように権威も求められている方は、特に社外取締役のような当事者なりうる役職に就くのはリスクが非常に高いと言えます。