新型コロナの感染拡大を防止するために、学校閉鎖やイベント中止は重要だと思います。
そうなると、「結果的に、大したことがなかったね。あそこまでやる必要があったのかな。」と言う人が一定割合で出てくると思います。
やらなければさらに被害が拡大したかもしれないのに、それを未然に防いだ成果というのは目に見えないため、評価されにくい、というのは至る所で見られます。
何もないことが当たり前、という仕事は辛い仕事
安倍元総理大臣が凶弾に倒れました。警備に問題があったとされています。警備とは、特に事件が起きないように未然に防ぐことが仕事と言えます。
つまり、何も起きないことが成果なので、警備がなくても何も起きなかったのか、警備があったおかげで手を出すことができずに事件を未然に防いだのか、どちらだったのかわからないことが多いです。
このように成果が分かりづらいために、こんなに警備が必要なのか、と思われてしまいがちです。
内部監査、内部統制もその一例と言えると思います。
横領など、従業員による不正が新聞にときどき載ります。金額も億単位の大きな額になることもザラです。
しかし、これを未然に防いだとしても、結果は「何も起こらない」ことなので、起きるはずだったことが起きなかったということは一切気付かれず、当然評価されません。結果として、あいつら何しているんだ、となってしまいます。
損失を回避することは利益を生むことと同じ、あるいはそれ以上であることを忘れてはなりません。100万円儲けても、100万円損失が出たら、経済的には何もしなかったのと同じですが、精神的ダメージはとても大きくなりますし、取り返すためには多大な労力が必要になります。
まさか(魔坂)は本当にまさかなのか
「まさかこんなことになるとは」
しかし、本当に「想定外」と言えるのだろうか。
想定していて対策をしなかったとしたら、想定外とは言えません。
想定すべきであった、あるいは普通に考えれば想定できたのに想定しなかったために事故が起きた、ということまで「想定外」と言ってよいのだろうか。
もっとも、どこまで想定すべきか、の範囲は難しいです。
隕石が落ちてくることまで考えていたら普通の生活ができなくなってしまいます。
後始末は本当に大変です。そうなる前の予防の方がはるかに低コストで効果が高いのだから、面倒臭い、コストがかかると行って躊躇せずに、振り返って考えてみるようにしたいです。