金銭欲にはキリがない

巨額報酬と脱「バカの壁」へ

取締役会、細かく目配りを

脳科学者、養老孟司氏の「バカの壁」(2003年)にはこんなくだりがある。「ある種の欲は際限ないものになった。金についての欲がその典型です。キリがない」とある。欲にはいろいろあるが食欲などは一旦満たされると収まるが、金銭欲はそうではないらしい。人間ならではの性(さが)だろうか。

株主総会のピークが過ぎたこの時期に話題となるのが役員の巨額報酬だ。

2024年7月8日 日本経済新聞

いくら食べ物があっても、お腹がいっぱいになればそれ以上食べれません。

しかし、金銭には限度がありません。いくらでも溜め込むことができます。そして一生で使い切ることができない金銭を持ってどうするつもり、という言葉は彼らには通用しません。なぜなら、金額がそのまま自分に対する評価だからです。

巨額報酬もそうで、自分にはそれだけの価値があるということを金銭で証明しているということなのでしょう。会社が株式時価総額で評価されるように。

でも、死んでもすべて置いていくしかないのです。以下の聖書の言葉は心に留めるべきです。

私たちは、何もこの世に持ってこなかったし、また、何かを持って出ることもできません。

衣食があれば、それで満足すべきです。

金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破壊とに沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。
金銭を愛することは、すべての悪の根でだからです。

テモテへの手紙 第一 6:7〜10(新改訳聖書2017)

私は、日の下で骨折った一切の労苦を憎んだ。跡を継ぐ者のために、それを残さなければならないからである。

その者が知恵のある者か愚か者か、だれが知るだろうか。しかも、私が日の下で骨折り、知恵を使って行ったすべての労苦を、その者が支配するようになるのだ。これもまた空しい。

私は、日の下で骨折った一切の労苦を見回して、絶望した。

なぜなら、どんなに人が知恵と知識と才能を持って労苦しても、何の労苦もしなかった者に、自分が受けた分を譲らなければならないからだ。これもまた空しく、大いに悪しきことだ。

伝道者の書 2:18〜21(新改訳聖書2017)
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