ダブルチェックやチェックリストではミスや不正は防げない

そらかぜ

ちょっとミスしても、誰かが見つけてくれるだろうから、たぶん大丈夫だよね。

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ダブルチェックの弊害

ダブルチェックも、チェックリストと同様、ミスを防ぐ方法ですが、必ずしも機能しているとは言い難いです。

それは、ダブルチェック独特の問題に起因すると思います。それは、誰かがチェックしているから大丈夫だろう、という依存心です。特にダブルチェックのもう一方がベテランであるほど、あの人が見ているから大丈夫だろう、となりがちです。その人がきちんとチェックしていればまだいいですが、相手方も同じように考えている場合があります。お互いに相手がきちんと見ているだろう、と考えていたら、悲劇です。結局誰も見ていない、ということになってしまいます。

このような無責任体制を招いてしまう、というのがダブルチェックの弊害です。だったら、トリプルチェックにしたら、というようにチェックする人を増やせばいいかというと、逆で、増やせば増やすほど、無責任になっていきます。自分一人くらい見ていなくても大丈夫だろう、こんなにたくさんの人が見ているのだから、となってしまうからです。

ダブルチェックは確かに重要です。一人でチェックすると、人間のやることなので、どうしても見逃しが出ることがあります。何度見返しても、思い込みから見つけられない。これに対して、他人の目が入ると、違う視点から見てくれるので、ミスが見つかり易くなる。

では、どうすれば良いか。
ダブルチェックをした場合、誰かが最終責任を負うようにするしかありません。審査をしたら、結果は審査した人が責任を負う。見逃した責任を負っていただくしかありません。

もし、自分一人しかいない場合、あるいは、ダブルチェックをしない場合は、もし時間に余裕があるのであれば、一日置いてみる、というのが良い方法です。

一日放置する、というのは文書を推敲するときにも効果を発揮する方法です。一晩寝かせと、新鮮な目で見ることができます。

わたしもミス防止のためにいろいろと考えていますが、それでもたまにミスが起きます。日々ミスとの戦いです。

メールを送った後や郵送した後に、「しまった。あそこはああ書くんだった。」「あそこ間違っているかも」となってしまうこともあります。これはいつも不思議に思います。これだけ気をつけて見ているのに、なぜ送信した後に気付くのだろう。

メールに比べたら、ブログは、アップしてから間違いに気づいても、すぐに訂正できるから気楽です。

チェックリストをただ埋めるだけでは意味がない

そらかぜ

チェックリストってめんどくさいよね。

チェックリストは、チェックリストを埋めるためにあるものではありません。ミスを防ぐためのものですから、中身を確認して間違いがないか、きちんとチェックしなければ、ミスは防げません。

「メーデー」という航空機事故の再現・分析をする番組があります。その中で、チェックリストをおろそかにしたがために墜落してしまった事例が紹介されていました。

航空機の運行にもチェックリストが使われます。しかし、チェックリストを読み上げても、きちんとチェックをしていなかったがために、離陸時に必要なフラップを出し忘れて、必要な揚力を得られず、墜落してしまいました。

いろいろな事情が積み重なってしまった不幸な事故ではありましたが、パイロットはベテランだったにもかかわらず、最も基本的な事項を見逃してしまいました。あまりにも当たり前の手順、やって当たり前のことをすっ飛ばしてしまいました。しかも、このようなミスを防ぐための警報装置も故障によって使えなくなっていた、という不幸も重なりました。しかし、手抜きをせずに、きちんとチェックリストを丁寧に埋めていけば、たとえ警報装置が作動しなくても墜落はしなかったのではないかと思います。決められた手順を踏まないと、このようなことが実際に起こりうるのです。

チェックリストをただ埋める作業になっていないでしょうか?

コロナ禍で4630万円を誤送金

あちこちで不正受給が発覚しています。山口県の4630万円の場合は誤送金なので、ちょっと違いますが、結果として犯罪者を作ってしまいました。

463人に1人当たり10万円を支給するところ、1人に4630万円支給してしまった、というポカミスです。チェックリストなどを使っていたかどうかは不明ですが、いずれにせよミスを防ぐことはできませんでした。

不正には、「動機」「機会」「正当化」のトライアングルがあります。

借金をしている、欲しいものがある、ギャンブル狂など、動機があれば不純な動機を持ちやすくなる。確かに、犯罪には動機があります。理由なき犯罪というのは稀です。

たとえ動機があったとしても、機会、つまりチャンスがなければ不正を行うことは難しくなります。金庫が開けっぱなし、あるいは鍵がかかっていなければ、盗むのは簡単ですが、鍵がかかっていれば難しくなります。

次の正当化については、要するに、自分は悪くない(環境が悪い、騙される方が悪い、など)、仕方ない(やらないと破産、倒産してしまう、など)、といったように、倫理観の欠如、不正を行うことへの心理的ハードルを下げることで、これは個人の資質に依存します。

この3つのうち、動機、正当化については、個人的な問題なので、ある意味どうにもならないところですが、唯一コントロールできるのが、機会です。

特に、山口県の誤送金については、もちろん返さなかったのは悪いですが、機会を与えてしまった行政にも当然非があります。

上場会社では、内部統制報告制度というのもができましたが、内部統制はまさに、この不正の機会を減らすために存在します。

もっとも、いくら仕組みがあっても、その仕組みを無効化してしまっては意味がありません。トップが不正を行なってしまってはすべての防波堤はないも同然、防ぎようがありませんので、結局は個人の資質に頼らざるを得ない、ということになってしまいます。

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